STUDIOUS

『日本発ファッションスタイルを世界へ』の始まり
日本で“セレクトショップ”というビジネスモデルが生まれたのは1970年代。元々はアメリカ・イギリス・フランス・イタリアなどの海外から洋服を輸入し、国内で販売するスタイルが主流でした。そんな中、“日本のクリエーションで世界と勝負したい”という代表・谷の想いから、日本人デザイナーズブランド=TOKYOブランドのみを取扱うセレクトショップ「STUDIOUS」が生まれました。幼少期をアメリカで過ごし、日本を客観的に見る機会の多かった谷は、海外に対して変に憧れを抱くこともなく、日本の国際的プレゼンテーション能力の低さに愕然とし、いつか日本を代表する企業を創り、世界と勝負したいと考えるように。青春時代を第二次裏原ブーム全盛の中で過ごし、自然と「ファッション」に対しての興味・関心が高まり、ファッションにのめり込んでいきます。“好きなことを仕事にしてお金持ちになりたい” “成功している人は皆、好きなことを仕事にしている” “人は好きなことでしか頑張りぬくことができない” そんな想いから、ファッション業界での起業を志すように。石橋を叩いて渡るタイプの谷は、好きなことで成功する為には既に好きなことで成功している人の近くで働くことが一番の近道と考え、前職に入社する。新卒1年目の秋、前職の代表から1枚の紙を渡される。それは前職が仕掛けていた不採算事業のPLだった。 “お前が半年でこの不採算事業の黒字化に成功すれば、この事業の跡地を使って好きなことをやっていい” そう代表から言われ、不採算事業の再建プロジェクトに取り組むことになる。1円でも利益を出す為、やれることは全てやった。プライドも何もかも捨てて、とにかく走り回った。リニューアルの為、メンバーと一緒に自分達でペンキを塗って、お店をリニューアルした。そんな愚直な努力が実り、何とか黒字化することに成功。

そこで谷が仕掛けた事業こそ、“日本人デザイナーズブランドに特化したセレクトショップ「STUDIOUS」”だった。事業プランを話した時、多くの人に笑われた。インポートが主役のセレクトショップに日本人デザイナーズブランドだけで勝てるわけがないと。“いつか必ず、そいつらを見返してやる。” その反骨心で事業を推進し、事業は軌道に乗ることになる。事業が順調にスケールしていく一方で、谷の中に生まれた不安。“このままでは事業部長になることはできても、日本を代表して世界と戦う企業の社長になることはできない” そして、独立を決意。お世話になった代表に直談判し、自分が育ててきた「STUDIOUS」を連れて独立したいと申しでる。予想外に代表の答えは“OK”、条件は正当な値段で事業を買取るというものだった。当時の谷は25歳、事業を買取るには1億を越えるお金が必要になる。共に創業するCFOの中水と共に資金集めに奔走し、代表に分割での買取り交渉を行い、なんとか独立を実現する。事業は順調にスケールし、2015年には東証マザーズへの上場も実現。『日本発ファッションスタイルを世界へ』の夢はここから始まった。

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